海の底

ゲームなどサブカル全般、雑多に気になることを書きます。

3月の終わり<反省編>

昨日に続いて投稿します。作品のレビューはお休みで、日々の所感です。

 

* * *

 

先日、Twitterで呟いていたことなのですが、

自分で言葉にしたことに、自分で疑問を感じたので、記事にしたいと思います。

 

[https://twitter.com/natsu_blueocean/status/711149376106668032:embed#

演技の凄まじい役者さんを「すごいね、感動したよ」と讃えるのは簡単だけれど、脇を固める人の良さにも気づきたいと思う。

 

そんな恰好の良いことを自分で呟いていたのですが、

昨日の記事を読み返していて、脇を固める人のことについて触れていなかったなと。

でも、ブログ記事を書くとなった時に、

自分の一番感動したことについて触れたくなる訳で。

そうすると演技の良かった役者さんについてどうしても触れてしまうんだなあ、と。

そんな自己発見をしたのでした。

 

視点の転換が必要なんでしょうか。

演技の巧拙とかではなくて、もっと違う視点での評価。

 

例えば、集団としてどのような過程を経て、その演劇作品が立ち上がったのか。

この役者さんに、どうしてこの役を振ったのか、とか。

役者さんの良さを引き出せたのか、とか。

作品としてのテーマを、どのような表現方法でアプローチを試みているのか、とか。

 

こんなことを、一度の観劇で読み取れるようになれるのか、まだわかりませんし、

感想を書くのなんて自由なんですから、自分の好きなことだけ書いてもいいのだとは

思うのですけど、

 

演劇は、1人では出来ないものです。

沢山の人が、力を合わせてこそ立ち上がるもの。

 

そのことを意識して、作品づくりをした人たちの想いを

くみ取ることができるようになりたい。

そんな風に思いました。

 

 

以上、昨日の自分の記事への言い訳パートでした。

お見苦しいところをお見せしてすみません。

 

 

昨日の記事についても、近日追記というかたちで、

触れられなかった部分についても書きたいと思います。

 

* * *

 

話は変わりますが、昨日妹の大学卒業祝いをしてきました。

近所の馴染みの料亭で、家族4人で夕食。

ご飯を食べる場に家族全員が揃うことがおよそ3か月ぶりのことで

久しぶりになってしまったなあという思いでした。

 

僕は社会人になってから1人暮らしを始めて

月日が経つ内に段々と実家に戻れなくなってきて、

そして今回は妹まで社会人になってしまったから、

家族と一堂に会せるのが段々と減っていくのかなあと思うと

心細い思いでした。

寡黙な僕が珍しく世間話の話題を振ろうと頑張っていたのは

寂しさの裏返しだったな、と後になって思います。

 

でも、今は無事社会人になれた妹の先途を思って、

お祝いを言いたい気持ちでもあるのです。

照れくさくて昨日は楽しくはしゃいでしまって

十分それを伝えられなかった気もするけれど、

まあ人間そんなものかなあ。

 

 

妹のみならず、旅立っていく人が沢山いるだろう、この季節。

旅立つ皆さんの先途が、明るいものであれば良いなと思います。

 

 

…なんて締め括ったら、終わりとしては綺麗すぎるだろうか。

何か、もう少しふざけたいんだけどな。

 

こんな下手くそなブログしか書けなくて申し訳ないですが、

まだつき合ってもいいよという懐の深い方。

またお会い出来たら嬉しいです!

遅筆ながらも、より良い記事を目指し、

週一ペースを目標に更新して参りますので

今後も当ブログを、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

北原

別れの季節/始まりの季節 (3月の終わり)

こんにちは、初めまして。北原なつきと申します。

 

ブログ開設してから記事を書くこと能わず、大分時間が経過してしまいましたが、

そろそろ自分のみっともない所感を晒していきたいと思います。

宜しければおつき合い頂けますと幸いです。どうぞよろしくお願いします。

 

* * *

 

さて、第一回目の記事について、何を書こうかなとぼんやり迷っていたのですが、

つい昨日、とても良い観劇体験ができましたのでお伝えしたいと思います。

 

下北沢で行われた慶應義塾高校・女子高校演劇部の定期公演

「君のともだち」

 

です!

初回の記事が、フレッシュな高校生たちの演劇についてというのは、とても幸先が良いですね!

 

 

さてさて。北原は高校演劇というものに無縁でいたのですが、

今回の公演を観てからというもの、

高校生の若い子たちの作る演劇というものに

興味が湧いてきました。

 

何と言っても、登場人物の心が、ダイレクトに伝わってくる。

そんな舞台でした。

高校生の子たち自身が、登場人物の心情に寄り添って

舞台上に立っていた。

技術がすごいと感じた訳ではなく、

ひたすら観客の袖を濡らすような

あれは、“演技”と言ってはいけないものだったようにも思います。

 

今まで色々な大人の舞台を観ていて、

「ああ、この人はこの状況でこんな心情になっているんだ」とか

「こんな心情ではこんな身体の動きになるんだ」とか

 

人物の心情の表現方法についての発見だったり、

あるいは登場人物に共感して涙をしたり

そういうことはよくあったのですが、

 

今回、高校生たちが演じてくれた舞台から感じたのは

それらとは別のものでした。

それは、ただただ登場人物の心情に誠実であるという

役者にとってはあまりに基本的なこと。

 

それが、実はとても難しく、とても大変なことだと

思い知らされたのでした。

 

公演の演出にして主演の女の子

(丹羽理沙子さんという方です)に至っては、

親友との永遠の別れの場面に際して

命を削るようなことばを吐いていた。

「ゆか」と一言呟く度に、

彼女の一部が死んでいくように感じた。

壮絶でした。

 

親友役の女の子にも僕は泣かされていて、

ブログでどうしても触れたい場面が。

病弱だった親友が、遂に逝去してしまう場面です。

 

死を目前にした親友の由香を、彼女の両親が穏やかに看取れるように

由香への別れがたい想いを抱えたまま、彼女の元を離れる決意をした恵美。

寒空の下、覚束ない足取りで歩く恵美が

どたりと転げ落ちたその直後、由香の姿が浮かび上がる。

「えみちゃん、えみちゃん。」

二言だけ、いつものように呼びかけて、そして由香は消えた。

 

上記の流れだけで、恵美が由香の死に立ち会えなかったことが

辛いほど伝わってくるのです。

当分、僕はこの死別の表現を、忘れられないと思います。

 

 

 

登場人物の抱える孤独や寂しさ、哀しみなどの気持ちに寄り添い、

それらをしっかりと感じていた高校生の皆さんに、

とても大切なことを教わることができました。

僕は彼らがとても羨ましい。

その若い年代で、仲間と一緒に素晴らしい舞台を作っていることが。

ずっと自分の狭い世界の中で閉じこもっていた僕の当時と、どうしても較べてしまう。

 

どうか、人物の心情への誠実さをこれからも失わずに、

演劇の世界で羽ばたいていってほしいなと願うばかりです。

 

 

慶應義塾高校・女子高校演劇部

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