海の底

ゲームなどサブカル全般、雑多に気になることを書きます。

ペーパーマリオオリガミキング(ネタバレ込みの思い出)

プレイ時:2020年8月上旬
 
お久しぶりです、と言うには時が経ち過ぎたように思う。
仕事やら何やら、身の回りのことが変貌しすぎている。そのことについてはまた語れれば。
 
先週からスプラトゥーンの大会企画に仕事に家事と、無理をし過ぎたせいもあり、今週に至ってはまるで前進できなかった。自分の器の小ささを見極められない未熟さを無念に思うばかりだけど、動けなかった時間を使ってオリガミキングの世界と出会うことが出来た。
 
 
 
今までプレイしたマリオシリーズの中でも、不思議な余韻を残してくれた作品だった。ペーパーマリオシリーズとしては初期の二作(名作として名高いストーリーとペーパーRPG)しかやっていない身ではあるけど、マリオの作品の一つとして語るには特にシナリオが異色であったように思う。シナリオを中心に、際立った部分を取り上げて見ていきたい。
 
 
なお、下記の記述はネタバレを含む。プレイ前提の感想になることをご了承ください。
 
 
 
*出会う仲間キャラクターとの別れがある。
 
ゲームに出てくるモブとの別れではない、というのがポイント。
ステージ2でマリオ達と出会い、仲間として行動を共にしたボム平は、岩石の下敷きになったオリビアを助ける為に自ら散ることを選択する。
 
自爆をする為に「不良品だった幼馴染の導火線を使って…」と語るくだりで、彼が導火線の無いボム兵だったことに初めて気がつく人もいただろう。彼にそんな“個性”があったことに私も気がつかなかった。ボム平が彼の過去を語ることで、一見ただの怠け者でひねた感じのボム平が、かけがえのない個性を持った人物として浮き上がってくるのだ。あれだけ戦闘中怠けて、ミズガミ様の神殿にもビビッて着いてこなかった癖に。そんな彼が自爆の決意をマリオに語った時、プレイヤーも、彼の自爆を慌てて止めようとするマリオに感情移入しただろう。だが、このゲームでは、彼が散るのを止められないのだ。
 
彼が爆破した後、その事実に気がついたオリビアは風鳴の洞窟へと一人駆けだす。マリオが追いかけた先でうずくまったオリビアが語る「こんな気持ちのまま、旅なんて、続けられない…」という台詞。これらボム平爆発からの一連のイベントが、オリガミキングと言う作品を雄弁に語っているように思う。
 
 
*出会いと別れ。人の世の不条理とリアルな感情が流れる旅。
 
「小舟はゆくよ 水しぶき
 人生という 終わりのない川
 流れにまかせて 生きるのさ」
               ~ 川の流れのごとく (作中歌)~
 
リビアとマリオが旅する中で出会う人たちや出来事は一癖あるものばかり。
砂漠の町ではイカサマ師と強制的に勝負させられ、負けたら即ゲームオーバーという理不尽さ。マリオが助けるキノピオたちも、コインを払わなければマリオを助けてくれない。助けたキノピオ達も変な人が多いのである。
しかし、そんな変な人たちが、物語の重要な節目でマリオを支えてくれたり、マリオに感謝して力を貸してくれるのである。印象的なのは二面のOEDOランドのボスをクリアした後だ。キノピオ達がメインストリートを歩くマリオを総出で見送り、紙吹雪に歓声が入り乱れる。スイッチのスペックで描写されるグラフィックの美しさも相まって、このゲーム屈指の美しいシーンだと思う。しょうもないと思われるようなキャラクターのキノピオ達も、マリオが助けてくれると感謝し、バトルの応援に駆け付け、時には力を貸してくれるのである。
 
ここまで見て来て、キノピオを始めとする登場キャラクターのアクの濃さと、彼らがマリオにとっての思い通りにならない存在でありながら、そんな彼らが時にマリオに恩返しをしたり、集まって力をくれる存在になるということを見て来て、何かに似ている気がしないだろうか。そう、リアルな人間関係だ。このゲームに出てくるキャラクターは、皆しょうもなくて、それほどに人間くさい人物たちなのである。彼らが時に力を合わせたり、誰かに感謝したりするからこそ、その儚さ、有難さがプレイヤーの心にも染みるのだと思う。
 
 
 
*“カミ”で出来ているというフィクションを逆手に取った大胆な仕掛け
 
 
このゲームで触れるべきポイントはまだまだあると思うが、その中でとりわけ触れなくてはならないことが、登場人物が“カミ”で出来ていることを大胆に活かした仕掛けだ。
 
 “カミのキノピオの顔に風穴を開けてゾンビ化させる穴あけパンチ”
 “カミのキャラ達を切り裂いてバラバラに解体するハサミ”
 
現実では年齢制限待ったなしの表現が、容赦なく描写される。それでも、彼らがカミだから残酷な表現に当たらないと判断されたのか、CERO Aというランク付けに収まっているのは驚きだ。
カミなのに、切り裂かれても生きてるの?顔ぶち抜かれても生きてるの?そんなプレイヤーの疑問を置き去りにして物語は進み、挙句の果てにはカオナシキノピオ達とマリオがダンスを始める始末だ。果てしなくダークな表現のようでいて、ペーパーマリオの世界内のことだからこそ許されるこの表現は、ペーパーマリオでしかあり得なかった表現であり、この作品のユニークさとしてプレイヤーの印象に残るだろう。
 
 
他にも、カミの手を使ったボスへのラッシュの爽快さとか、ラスボス戦に折り紙のトントン相撲を持ってくる面白さなど、思い出す程に語りたくなる要素はあるが、これくらいに留めておく。
 
 
*最後の「折り紙へ、ありがとう」について
 
色々な解釈の出来そうなラストの台詞だが、単純に、折り紙との出会いがマリオ達にもたらした【思い出】への感謝だと思っている。【思い出】というのはボム平やオリビアからも何度も口にされる言葉であり。この作品のキーワードだと思う。
 
 
私も、マリオ達との旅を一緒にさせてくれて、
様々な出会いと思い出をくれたオリビアに、ありがとうと言いたいのだ。